仏教
Buddhism(英)

 キリスト教イスラム教と並ぶ世界三大宗教の1つ。
紀元前5世紀頃に、釈迦族(現在のネパールあたり)のゴータマ・シッダールタ(Gautama Siddhaartha(サンスクリット))が開いたとされています。
彼の別名である「お釈迦様」とは、「釈迦族の英雄」を意味する釈迦牟尼(Zaakya-muni。シャーキャ・ムニ)の略です。

 仏教と他宗教との決定的な違いは、基本的に神のような至上の存在がいないことです。
日本では神仏習合が為されたこともあり「仏様≒神様」という印象がありますが、仏というのは悟りを開いて解脱した人間であり、創造主などの類ではありません。
どちらかというと、仙人のようなものになります。
佛アの「佛」という字も、「人にして人に非ず」という意味を持ちます。

 乱暴な言い方をしますと、解脱とは生における苦楽一切を棄てて「無」になり、輪廻のしがらみから解放されることを意味します。
そして悟りとは、それに気づく(「無」になる方法を会得する)ことを指します。
悟りを求めて道を探求している過程の人を「菩薩」と呼び、悟りを開いた人を「仏」と呼びます。

 なお、阿修羅、帝釈天、四天王などが登場する神話はインドの古書群ヴェーダ(Veda。「知識」の意)が元になっていますが、本来の仏教はこれらとは関係ありません。
ヴェーダを漢語訳したもの程度に捉えておくと良いでしょう。
 ちなみに阿修羅はアスラ(Asura。サンスクリット語)の充て字で、リグ・ヴェーダ内に登場し、インド神話、ヒンドゥー教、バラモン教などにおける悪魔の総称。
修羅と呼ばれることもあるのは、中国において「阿」という接頭字が日本の「〜ちゃん」に相当することに拠ります。
帝釈天はヒンドゥー教やバラモン教などにおける神インドラと同一のもので、サックロ・デヴァーナーム・インドラ(Sakro Devanam Indrah)をSakro→釈(音訳)、Devanam→天(意訳)、Indrah→帝(意訳)としたものです。
四天王の毘沙門天が多聞天と呼ばれることもあるのは、毘沙門天が音訳、多聞天が意訳であるためです。