ドルイド教
Druidry(英)

 ケルトの古代信仰。
ドルイド教の興りは意外と遅く、大陸のケルト人がローマ帝国の支配下に入った後のイギリスで始まります。
チュートン民族によって大陸からブリテン島に逃亡してきたケルト人はそこでもなお抑圧を受け続け、その過酷な現実への反動が宗教信仰という活路となりました。

 自然信仰を主体としており、この中心となるドルイドは「樫の樹の賢者」という意味のDaru-vidが名前の由来となっています。
その名の通り、樫の樹の枝で作られたワンドを用い、宗教的な儀式(主に生贄を用いる)を執行します。
 ただし、鉄の杖を用いることもあったようです。
当時鉄は「土くれから生み出される魔法の物質」であり、樫の樹と同様魔法の杖としての機能を充分兼ね備えている…と考えられたためでしょうか(この辺り確信がありません)。

 ドルイドになれば兵役も徴税も免れるとあって、志願者は後を絶ちませんでした。
しかし膨大な教義を口伝のみ(秘匿するため)で憶えなければならず、長ければ20年の修行を要する者もいたそうです。
例えるなら、弁護士になるために六法全書を憶えるのを、落語家の要領で師匠から聴き伝えられるようなものでしょうか。

 後にこの教義内容が更に肥大化するにつれ、とても1人が一生では憶えきれるものではなくなり、役職がドルイド、ウァテス、バルドへと役割分担されることとなります。
ドルイドは神学や法律を担当し、神官や立法者としての役割を。
ウァテスは自然科学、天文学などの科学的要素を担当し、ドルイドの補佐的な役割を。
バルドは伝承や神話、歴史などを琴(ロット)の調べに乗せて謡う人で、現在の吟遊詩人(バード)の祖となります。

 彼らケルト人の中には王はいましたが、実質的な権力はドルイドが握っています。
次の王を決定する際には年老いた王を殺してその血で占うなど、王は形式だけのものでした。
そのため、ドルイドの長を決定する際にも波乱がありました。
ドルイドの長は世襲制ではなく、先代が死亡した際に最も能力の高い者から選ばれます。
能力が拮抗していた場合は選挙や、場合によっては武力が用いられました。